完成 (Taken with Instagram at OYOYO)

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ライブペイント (Taken with Instagram at OYOYO)

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"9年目にして配属された病棟の看板に、
「救命救急病棟」って書いてあったのです。がびーん。
いやー、人事の人さー「4階西病棟」つってたから、
「4西、4西」口酸っぱく言ってたからさー、
すっかりね、そのあだ名に踊らされて、
病棟の本名聞くの忘れてたわー。
いやー、看護師になって9年。
お噂は かねがね。
なにやらこの世界には、救急病棟って病棟もあるらしいよ、と。
ほんとにあったかー。
結構、身近にあったー。
ドラマの中だけの架空の病棟かと思ってたわー。
で、まあ、勉強もかねて、ドラマ「救命病棟24時」を
おさらいしたんですけど。
もうね、ドラマティック。
ドラマティック病棟と言ってもいい。
展開が、もうすごいわけ。
これが、あの有名なカードバトルかしら?デュエルかしら?
ってくらいの息を呑むドクターの処置シーン。
もうね、ずっと俺のターン。
メス、メス、クーパー、ガーゼ、吸引、
最後にクーパーを添えてターン終了!みたいな。
それに対する看護師がね、もう、全然物語を邪魔しない感じなわけです。
クーパーとかね、ガサ入れかってくらいゴソゴソ捜してる看護師、
一人もいないわけです。
ガーゼを出すとき、袋の切れ目が一生見つからない看護師も、
一人もいないわけです。
江口のキメ台詞が聞き取れなくて、5回くらい聞き返してる看護師も、
ひとっこ一人もいないわけです。
かたや私、看護師暦9年の粋(すい)を結集しても、
ドクターの言ってる言葉は、常時、呪文に聞こえるよー。
先輩の「急いで○○持ってきて!」の○○が、
1回で聞き取れたことがないよー。
そんな私がね、ついに躍り出たわけです、救急のピッチに。
押すなって、押すなって、という上島ナイズされた動きで、満を持して。
加藤、登場!!!
登場して、3ヶ月。
全然、名前を覚えてもらえない。
1年目の超新人 後藤さんは、もう「ごっちん」とか
呼ばれてんのに、
私なんて、待てど暮らせど、無名。
加藤っていうね 安定感あるおなじみの代名詞を
背負ってやってきたんですけど、
完全に「看護婦さん」って呼ばれてます。
「看護婦さん」の名を欲しいままにしてる。
隙あらば、看護婦さんにも「看護婦さん」って呼ばれる。
もうね、今日という今日は名前だけでも覚えて帰ってもらいたい。
救急病棟に、加藤ありき!と。
したら、
「今、入院した患者さん、即オペになったから!」
っつー怒涛の展開がドラマティック病棟に起こったわけ。
もう、一刻も早くオペが必要と。
担当の先輩やドクターは、すごい動き。
口々に指示を出し合いながら、ちょっとしたデュエルを披露。
それ、腕にデュエルディスクついてんじゃないかっつーくらいの雰囲気でね、
もう、バトルと言ってもいいくらいのやりとりをしてるわけ。
飛び込まなきゃ・・・!あの渦に!渦巻きに!
ごっちんも私も、息を呑んだ。
だけど、そこはもう、小学校の長縄とびみたいでね、
入るタイミングが・・・ちょっと・・・
って思ってたら、ごっちんが「何かやれることないですか!」
って飛び込んだ。
ごっちん、憧れるわー。
惚れるわー。
今の間合い完璧だわー。
したら、先輩も、ゆっくり頷いて、
「ごっちん、じゃあ、手術部位の剃毛、お願い」
つったわけ。
そしたら、ごっちんがね、あの憧れのごっちんがね、
超マゴマゴしてるの。マゴついちゃってるの。
「あの・・私・・剃毛したことなくて・・・」つってんの。
もう、そのボールいただき!とばかりに飛び出ましたよ。
「私、できます!」と。
「私、剃毛できます!」と。
「この加藤に、剃毛はお任せあれ!」と。
したら、先輩が、じっと私の名札を見てから、
「加藤さん、お願い!」
って頷いた。
ごっちんが、ちょっと悔しそうな顔をして身を引いたので、
私は何ならもう江口になりきった感じで、
「ごっちん、剃毛、手伝ってくれない?」って声をかけた。
そしたらごっちんも「はい!」って嬉しそうに言うので、
「グズグズすんなよー」「加藤さんこそー」みたいな感じで、
ドラマティックに和解しつつ、
ごっちんに「俺の背中みとけ」って感じで、ドクターにかっこよく
「先生、剃毛部位は?」ってデキル女風に確認して、
「全範囲だ」って言われて、1発で頷いた。
セーフ。
先生の言ってることが、1回で聞き取れた奇跡。
前の病院では2年間消化器外科で働いてた。
どんな剃毛にも立ち向かってきた。
どんな湿地帯もアマゾンも、きれいに剃りあげてきた。
私は、道具をすばやくそろえて、ごっちんを従えて、
患者さんの病室に飛び込んだ。
そこには、ちっちゃいおじさんが居た。
緊急の手術を前に、やや緊張の面持ち。苦しそうではない。
私は、長年で培ったトークで患者さんをリラックスさせながら、
剃毛へと いざなう。
「手術って、やっぱり、そんなとこまで剃るんですね・・」
という患者さんに、
「そうですね、やっぱり毛の中にはバイキンが多いので、
ここから手術のあと感染したり うんたらかんたら~」
なんて軽快なトークで、なめらかに下着を下ろして、びっくり。
樹海だ。
樹海である。
ちっちゃいおじさんが、猛威をふるっておる。
ごっちんが、無理だって顔をしてる。
ここを剃毛するなんて無理だって顔してる。
大丈夫。
私は目で合図した。
ごっちん、見てて。
もし「剃毛病棟24時」ってドラマがあったら、
江口は間違いなく私だよ。
私はごっちんに右手を差し出し「ハサミ」と言った。
ごっちんは、すばやく、私にハサミを差し出した。
「完璧・・ですね」
ごっちんが憧れの眼差しで私を見た。
たった10分。
ノルウエイの森が、更地に。
そしたら、ナイスタイミングで、先輩とドクターが病室に来たので。
私は先輩に子犬のように駆け寄って
「剃毛したんで、確認してください」
って微笑んだ。
見て見て。
私の武勇伝。
先輩が、オーケーオーケーと、微笑んで患者さんを見た。
下半身を見た。
そして叫んだ。
「頭の手術よ――――――――!!」
この叫びをね、私は生涯忘れないと思います。
先輩、大西ライオンかと思った。
で、一同絶句。
患者さんも、私も、ごっちんも、先輩も、ドクターも。
ただ、病室の時計のカチカチカチカチって音だけが響いてた。
ご、ご覧のとおり、頭ボウボウなわけです。
で、でも、下はつるっつるなわけです。
「なんで・・こんなことに・・」ってドクター。
完っ全っに、剃る場所を間違ってるわけです、私。
本丸を手つかずにして、
とんでもないとこを、思う存分剃りあげたわけです、私。
逃げも隠れもいたしません。はい。
患者さんも、「だよね」って言ってた。
「頭の手術なのに、すごいとこまで剃るなーって、
やっぱグローバルなんだなーって」とのこと。
グローバル間違え。
剃毛っていったら、下しかないと思ってた。
それから無事、頭の手術を終えた患者さんに、
もう、師長も主任も連なって、謝って、
患者さんの家族にも
「上の毛と下の毛を間違って剃ってしまいました」
と謝って、
最終的には、院長まで出てきて、
「上の毛と下の毛を間違って剃ってしまいました。
患者さんの苦痛を考えると・・・」
って謝って、
最終的に、私は
「上の毛と下の毛を間違って剃ってしまいました」
というミス・トラブル報告書を書いた。
さまざまな角度から、上の毛と下の毛を剃り間違える過程を
分析した、その壮大な書は、
救急病棟の報告書の決まりにのっとり、
朝の申し送りで1週間読みあげられました。とっくりと。
で、こころなしか、最近、先輩たちから、微笑まれる回数が増えたよ。
あと、色んな人に「アレ読んだよ」って言われる。
まさにベストセラー。
あと、もう、私の念願だったわけですが・・うん・・、
先輩たちもドクターもね、口々に言うわけです、
「救急病棟に、加藤ありき!」と。"
"ノーマイカーデーを1日完全実施すると、約4年分のレジ袋製造時に排出される二酸化炭素が削減できることになります"
ありこーんがおごってくださった (Taken with Instagram at 吉野家 札幌駅APIA店 (YOSHINOYA))

ありこーんがおごってくださった (Taken with Instagram at 吉野家 札幌駅APIA店 (YOSHINOYA))

"コードのお葬式をやってみたらどうだろう!(←我ながらイタすぎる発想)
「汝が0と1の海に還ろうとも、その魂は我がニューロンの内で生き続け、いつか、新たなるコードの礎となるであろう」"
"具体的にいうと、謎の病気であと1回歌うと死ぬって状況で、「私が死んでも、歌は死なない!」「もしも死ぬなら舞台の上よ!」と言い放って歌い、銀河を救って意識不明の重体。
オゥ……これぞ……プロフェッショナル……。
これがエンジニアだとしたら「私が死んでも、コードは死なない!!」「もしも死ぬならIDCの中よ!!」って言って徹夜明けに本番サーバ上でソースコンパイルしてバイナリ実行して倒れる感じですか。
うーん……かくありたいものですね……(白目)。"
"苦手な方はすぐに「歯磨き粉のよう」と酷評するミント入りのお酒、たとえば〈スティンガー〉や〈グラスホッパー〉などを飲めば、食後の清涼剤的な役割を果たしてくれるだけでなく、彼らが酷評するところの歯磨き粉的な役割のおかげで口中すっきりすることは疑いなしです――なんのためにかは、申し上げますまい。"
カクテルガイド|カクテルを楽しむ|TPOにあわせて楽しむ
なんのためにかは、申し上げますまい。
"ローマ人は破壊と殺戮と略奪を偽って統治と呼び、廃墟を作ってそれを平和と呼ぶ"
200円の定食 (Taken with Instagram at ラーメン野郎 一揆)

200円の定食 (Taken with Instagram at ラーメン野郎 一揆)

メイドさんたちのまかないプレートおごってもらった (Taken with Instagram at OYOYO)

メイドさんたちのまかないプレートおごってもらった (Taken with Instagram at OYOYO)

親から送られてきた代物。鼻くそ野郎ってことですね (Taken with instagram)

親から送られてきた代物。鼻くそ野郎ってことですね (Taken with instagram)

"

今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。

曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。

別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。

「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。

 

一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。

「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。

私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。

「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。

 

結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。

 

相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。

こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」

それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。

 

 

 

結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。

「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。

それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。

相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。

 

そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。

 

 

 

具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。

 

「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。

 

「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」

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"「――眼鏡は顔に掛けるものだって、誰が決めたんだ?」
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